novel-ビルドアンドスクラップ!

 


 



 俺の部屋で伊吹と宅飲みをしている。随分慣れた手付きで冷蔵庫から次のビールを出す伊吹に、伊吹と過ごした時間の長さを感じる。これも、あと何回になるのかな、なんて、独りよがりな寂寥を感じた。


「しまー、次ビール?サワー?」

「んーサワー、レモンサワー」

「んー」


 最近は健康を気にして、ビールは2本ほどで辞めるようにしている。まあ今日は伊吹に釣られて飲みすぎたが。プリン体やら糖質を気にして無糖のレモンサワーに切り替えるのが常になってきている。ビール党の伊吹は、場所を選ばない限りビールを飲み続けることが多い。ちゃんぽんしたほうが悪酔いしねぇ?ということらしい。ビールならずっと飲んでいられてしまうから、それもどうなんだろうねーと笑っていた。ビールといえば、ビールっ腹になるイメージがある。まあその正体はビール自体に原因があると言うよりは、ビールによる食欲増進効果にあるようだが、伊吹はずっと体型が変わらない。肌艶も変わっているようには見えない。笑うと目尻に寄る皺が若干深くなったかなという程度で、早数年相棒を務める身としてはそれすら時間の流れを感じて感慨深いと言うか、なんというか。伊吹はソファーを背もたれにして、横並びに腰を落ち着かせた。プハー!冷たいビールうめー!と何本目か忘れたビールを美味そうに煽っている。俺だってビール党なのだから、爽やかなだけで物足りないサワーより、ビールが飲みたい。体型を気にしてそんなことまで考えているって言うのに、羨ましい限りだし、同い年なのに、妙に悔しい。


「お前は変わんねぇな」

「え?何が」

「んーいろいろ?」


 サラリとした前髪を掬ってみる。狭い額に黒々しく揃う生え際。俺の突然の行動に驚いて、困り眉でキョトンと見つめるその表情が、むしろいつもより幼く見えて。自然と笑みが溢れた。


「ふ、前髪あげると子供っぽいな」

「んだよ、バカにしてんの?」

「はは、違うよ、若くていいなってこと」

「志摩だって若いじゃん」

「まあ、実年齢よりは、でもあれはお世辞」

「そうかな?」

「そうだよ」


 あまり納得いってないようで、口をへの字にして忙しなく小首を傾げている。


「俺が変わんないのは、努力してるからね!」

「ほー努力」

「そ!努力!」


 レモンサワーを飲むついでに横目に伊吹を見ると目があって微笑まれる。優しく柔らかい、そんな微笑みだった。


「変わんないって、安心するでしょ?」


 微笑んでいるが、有無を言わせないその物言いに、少し胸がざわりと撫でられた。


「……まあ、変わらずいられるなら、それがいいのかもな」


 伊吹の視線がテレビに戻っていく。チー鱈の、鱈の部分をそーっと剥がしてからちまちま食べる、伊吹のその変な食べ方を酒でぼやける思考で見つめる。変わんないなぁ、その食べ方。初めて見た時は、チー鱈は一緒に食べるから美味いんだろ、それが正解なんだよ。正解なんか1つじゃないだろ、これが俺のスタイル!なんて言って小突きあった。なんかもそもそ食べてると思うと、たけのこの里とかきのこの山もチョコだけ先に食べたりしてるし、妙に楽しそうだし。その変な食べ方はうちでしか見たことはない。


「伊吹、俺さ」

「うん」

「結婚しようと思う」

「……ああ、うん」


 鱈をチーズから剥がす手が一瞬止まって、またゆっくり丁寧に剥がされていく。その途中で鱈がちぎれた。……案外、平常心だな、こいつ。勝手なイメージだが、もっとはしゃぐかと思った。そこで結婚式の相棒スピーチはお前にさせてやる、なんて言って、ふざけようと思ったのに、心臓が嫌なリズムを打っていく。


「前言ってた、彼女?」

「そう、彼女から考えてみてって、言われてさ、いい歳だしそろそろかって」

「あーはは、それはマジでそう」

「伊吹にいちばんに言いたくて」

「……そうなん?うれしーな俺」

「親にもまだ言ってないんだ」

「それはいちばんに言えよ」


 あれ、俺、何で、いちばんに伊吹に言いたかったんだっけ。こんな空気にしたかったわけではなかったはずだ。結婚して同居人が増えたら、今までのように気軽に家でだらだら酒を飲む、なんてことは出来なくなる。これが最後になるかもしれないというのに。


「まあ、なんだ、伊吹とはこれからもその、いい関係で居たい」

「んー?ふふ」

「なんだよ笑うなよ」

「これからも、ね?」

「……ああ」

「変わらず?」

「……そう、お前は、一番大事な相棒だから」

「俺のこと、大好きって目で、見てくるのに?」


 心底おかしいと笑いを堪えようとして、目尻に皺を寄せている。ソファーにもたれて並びラグに座る自然な距離が、突然に居心地が悪くなった。

 

「……な、」

「はーおっかしい!あはは!志摩って不器用なくせに、器用に見せたがるよねー!彼女できたって言った時はさ、許してやったよ、俺たち相棒だから!俺は彼女にはなれないもんな?だから我慢してた!」

「……何の話だよ」

「今もずーっと俺のこと好きって大事って見てくるくせに、他の女と結婚?それで変わらず傍に居ろって?」


 ソファーに片腕を乗せて、伊吹が顔を突き寄せ至近距離で覗いてくる。


「志摩ァ、俺そんな聖人じゃねぇよ、欲あるよ、独占欲、嫉妬……そんなんばっかだよ!」


 伊吹が姿勢を戻して飲み掛けの缶ビールを手に取る。


「何回も捨てようとした、これは正しい形じゃないって、俺の勘違いだって……でもダメだった、何故か?」


 手に取ったビールを豪快に飲み干した。空き缶をそっと、テーブルの上に置く。


「何度も何度も、その度に拾って返してくるから」


 伊吹が俺のシャツの襟を掴んだ。軽く引き寄せられて目が合う。


「お前が……!」

「……」

「ずぅっと、我慢してやってたのに……もーいいわ、キレた」

「うわ、ちょっ」

「俺、志摩のために志摩のこと、我慢するのやめるわー」


 ラグの上で胡座をかいたまま動けないでいる俺に伊吹が跨ってくる。


「は?」

「は?じゃねぇよ、チッ……ムカつくなぁ」

 

 ちゅ、ヤケに可愛いリップ音が、近づいた伊吹と俺の間から鳴った。


「きゃは!志摩にキスしちゃった!」


 何が起こったか理解できずにいるのに、伊吹の唇の柔らかさが余韻となって残っている。ビールの苦味が残っていて現実だと悟る。やたら楽しそうに揺れる伊吹に合わせて俺の視界も揺れる。


「もっとちゅーしちゃお〜」


 もっと?!それは阻止しなければと動こうとしたが、目敏い伊吹に悟られたのか、両手を上から手で押さえつけられる。足には伊吹の全体重が乗っかっているので、いよいよ動けなくなった。艶やかな吐息を零しながら、首を傾け無防備な首筋を晒して唇を食まれては吸われる。妙に色っぽい仕草にじわっと体に熱が浮かんだ。


「あーあいけないんだ結婚考えてる彼女いるのに、いちばん大事な相棒とキス、しちゃったね?」


 短く浅い呼吸を繰り返しながら、満面の笑みのまま今度は首筋に吸いつかれる。ぴり、と走るその刺激に俺も釣られて興奮を掻き立てられていくのを感じた。俺に跨ったまま揺れる伊吹の腰がさらに熱を上げろと煽ってくるようだった。体温が上がっていく伊吹から香るアルコールに酔って、さらに奥深く、伊吹を感じたくなった。もうダメだ、……決壊してしまう。


「なあ志摩、もっときもちーこと、」


 前髪がくしゃくしゃのまま混ざる距離で、見たことないイロが灯る伊吹の瞳に囚われる。


「俺と」


 鼻筋までひたりと寄り添った。

 しよーぜ、伊吹から発せられたその言葉は、気付いたときにはもう唇ごと、食べてしまっていた。


 



 ソファーで1回、もつれながら廊下で1回、たどり着いたベッドで1回。

 日常生活を送る場所で伊吹とヤってしまった。今までそんなこと、したことがない。そもそも彼女とは1回で終わるし、セックスとはお互いの体温を感じて精神安定を図るためのものだった。それがどうだろう、伊吹のチープな挑発に抗えない、心が掻き乱されてもっとと求めてしまう、目の前が真っ赤に染まるような高揚感だった。ガンガンと響く頭痛は、果たして飲み過ぎたアルコールのせいだけなんだろうか。事後特有の気怠さの中、下着を履き直す気にもなれずベッドサイドに腰掛けて頭を抱えた。

 ふと思い立って、サイドテーブルの引き出しを開ける。随分前に禁煙して、余していたタバコとジッポがある。そのジッポはきょうだいの中でタバコを吸うのが俺しかおらず、父から譲り受けたものだった。大した値がつくものではなかったが、何となく捨てるわけにもいかずしまったんだっけ。現実味が無くどこかふわふわとする気持ちを落ち着けようと、タバコを手に取った。長らく放置していたものだから、香りは飛んでいるし湿気って火が着きにくい。何とか火を着けようと苦戦しているところに、伊吹が冷えた水のボトルを持って寝室に戻ってくる音を背中で受ける。


「あれ、志摩タバコ辞めたんじゃなかった?」

「……あー、辞めてたよ」


 タバコを咥えながらこもった声で返す。……やっと火が着いた。久しぶりに肺に満ちる紫煙に昂った気がゆっくり沈んでいくような心地がした。ベッドがギ、と小さな悲鳴をあげて伊吹が乗り上げる。


「ふふ、俺志摩がタバコ吸ってんの、すき」


 素肌の背中と伊吹の胸がくっつく。汗の余韻でしっとりと素肌同士が重なり合った。そのまま伊吹が右肩に顎を乗せる。


「火ィ着けようとしてる時、ここにギュッてしわが寄って、エロいな〜……って、ずっと思ってた」


 伊吹の指に眉間を押される。横目で伊吹を見ると、無邪気な笑みを浮かべている。禁煙してかなり経つ、ずっとって、いつから?と聞きたくなって、辞めた。


「……火着いてんだから、危ないだろ、離れろよ」

「志摩が気をつければ良くない?」


 妙に説得力があることを言われる。まあそうなんだけど……顎を乗せたまま、くあぁと大口を開けてあくびなんかしている。随分汗をかいてアルコールが体内から飛んだようで、もう酔いはほとんど残っていない。背中にぴったりくっついたまま、謎に上機嫌にニコニコと、無防備で無邪気に笑う伊吹。先程まで前後不覚になって俺を求め、このベッドで乱れていたくせに。脳裏に焼き付く伊吹の官能的な姿との差にクラクラ目眩がする。

 ……違う、これは久しぶりのタバコでヤニクラしてるだけ。

 そうであることを証明するように、機嫌良く山形になる真横の唇にキスをした。歌でも歌い出しそうにゆらゆら揺れていた体が、ぴたりと硬直した。開かれたままの目を見つめて反応を待つ。


「しまから、キス、されちゃった」


 いやさっき散々しただろ、キスなんて。もっとその、スゴいことをしただろ、お互い。見る見る赤くなるその顔に向かって、その言葉を投げかけるのはあまりにも酷な気がして何も言えなくなった。


「え、何、照れてんの?」

「だ、だって、素面でそんなっ……」


 顔を見ようと振り向くと手で顔を隠したままベッドを降りようとしている。逃がさないようにその手を掴んで顔を覗き込んだ。


「コラコラ、隠すなよ、見せろ」

「ハ?!デリカシーない!恥じぃからやめろ!」


 この辺にあったはずと、引き出しの奥にあった携帯用の灰皿に半分も吸っていないタバコを押し込んだ。もう一方の手で顔を隠そうとしながら、掴まれた手を振り解こうと手を振っている。赤い耳赤い頬はもちろん、胸元まで赤らんでいるように見える。さっきまでは快楽に溺れて節々が赤く染まっていた体を瞬間的に思い出した。今は子供騙しのようなキスを受けて、こんなになるほど照れている。伊吹の羞恥心の基準がわからない。あんな大胆に誘っておいて、今度は初心な反応に腹の底に眠る加虐心が目を覚ます。体を引いて逃げようとする伊吹の力を利用して、そのままベッドに押し倒した。


「そんなに嬉しいのか?」

「……うれしい」

「ふーん」


 その返答に気分が良くなって両手を絡め取ってベッドに縫い付ける。観念した伊吹は羞恥心なのか、先ほどの情事の名残なのか、目の縁を赤くして潤んだ目で見上げている。こちらを睨みつけるふりをして、続きを期待しているのが隠せていない。強張って固く噤んだままの唇にひとつ、キスをした。


「ん、うれしい?」

「うれしくないっ!」

「お?嘘つくのか?」

「嘘じゃないっ」


 そう言い切って顔を逸らして脚をじたばたさせている。はらはらと揺れる前髪が、感じ入る伊吹の仕草を思い起こされた。絡めていた左手を解いて顎を掴んでこちらに向かせて強引に唇を奪う。自由になった伊吹の右腕が彷徨うように動いて、やがて俺の左肩を抱き締めるように掴んだ。


「はぁ、ん、んぅ……ふ、」

「いぶき、うれしい?」

「ん、んんっうれしく、な……やだっ離し、んむ」

「ほんとに?」

「う、うぅ……しまぁ……」

「しま、じゃわかんねぇよ」


 耳を撫でるように掴んで、さらに深く口付けた。冷たい水を飲んでいた伊吹の口内はひやりと澄んでいて、自分の熱を分け与えるように舌を動かした。だんだんと伊吹も俺も、キスに夢中になっていく。


「ん、ふふ……しまの舌、苦い……」


 熱に浮かされぼんやりと蕩けた表情のまま伊吹が言う。

 そのままキスをしながら、伊吹が気を飛ばすまで、もう1回。



◇

 


 ブー、ブブー、ブー……


「一未くん、スマホずっと鳴ってない?」

「あーうん、気にしないで大丈夫」

 

 一線を超えてしまったあの日、朝目が覚めると伊吹はもういなかった。ベッド周りも綺麗になっていて、限界まで抱き潰した上に事後処理までさせて最低だな俺……と、米神と怠い腰の痛みを受け入れた。その後日、当たり前に勤務で一緒になるわけだが、至っていつも通りだった。昼飯の時、集まった同僚との話題で明日彼女に会うと口に出した俺の顔を、にんまり笑いながら見つめてくるくらいだった。その表情を見て、あの夜は伊吹の中でも無かったことにはなっていないんだと分かり、内心少し安心した。忘れられないのは俺だけじゃないんだ、と。大きな問題なく業務を終え、休日を迎え約束通り彼女が気になると言ったカフェに向かいランチをしている。その様子をどこからか見ているんじゃないか、というタイミングで伊吹からのダル絡みのLIMEが鳴り止まない。


「アイツ暇みたいで、俺が予定あるって知って嫌がらせしてんだよ」

「あははっ、伊吹さん、だっけ」

「……そう、ごめん、うるさくて」

「ううん、気にしないから、返信してあげて?」


 ごめんと一言伝え今も尚、スマホを震わす伊吹のメッセージにあえて付けてなかった既読をつける。


『志摩ちゃーん!』

『しましましま〜』

『彼女とデートなう?!』

『おしゃカフェデートなう?!』

『カフェのパスタって少なくね?』

『あいちゃん特製生姜焼き丼特盛作った!』

 写真。

『志摩のぶん』

『ねーからな!』


 ああ〜伊吹の生姜焼き……美味いんだよな……

 カフェ飯の生パスタ、美味いけど少なすぎて全然足りなくて、牛丼食べてーって思ってた思考を完全に読まれていた。伊吹が作るあの生姜焼きを食べる機会を失ったという事実に、思わず悲しくなる。ピコン、と音を立て続けて伊吹から写真が送信される。自慢の特製生姜焼き丼を口いっぱい頬張って満面の笑みの伊吹がどデカく映った写真だった。ぶはっと思わず吹き出した。なんだコイツ、小学生男子かなんかか!美味しそうに頬張る顔がハムスターの類いにも見え、さらにツボにハマる。小洒落た雰囲気のカフェで大声を上げて笑う訳にもいかず、ただ肩を震わせて耐えた。


「ふふっ、本当に仲良いんだね」

「ングッ、いや、そんな、付き合い長いだけ」


 今度生姜焼き作れよ、とメッセージを返そうと文字を入力しているところに、今度は着信音が鳴る。


「伊吹っアイツ、電話まで……!」

「いいよいいよ、電話出て!私お手洗い行ってくるね」


 そう言いながら彼女は席を立った。気を遣わせたことに申し訳なさを感じながら、片手でごめんと肩を竦ませポーズを作る。俺が彼女と居ることをわかっていての行動に、流石に一言言ってやらねばと通話ボタンを押した。


『しーまー写真見た?なあウケた?ねえねえ!!』

「お前な、いい加減にしろ」

『えーだって寂しかったんだもん』

「かわいこぶってんなよ、嫌がらせだろ」

『えーでも生姜焼き丼食べたかったっしょ?』

「……まあ生姜焼きは美味そうだったけど」

『でしょー?家庭的な、俺ぇ』

「はあ、今度作れよ」

『あいよん』


『……ねえ志摩?』


 もう切るぞと言おうと息を吸い込んだところで、今までの騒がしさを潜ませた伊吹が静かに問いかけるように呟く。電話越しだが、纏う雰囲気が一変して妙な緊張が走り息を呑んだ。


「、何」

『ひとりぼっちで寂しいから、会いに来て?』

「は?」

『志摩に会いたい、今すぐ』

「何言って」

 

 ここは伊吹の部屋がある官舎からは遠いし、電車の路線が違うので乗り換えも必要で1時間弱はかかるだろう、このあと観る映画のチケットはすでに購入済みで取り消しはもうできない、そして何より、今俺は彼女と一緒にいる。おいて行くことは、できない。脳内に行けない理由を駆け巡らせた。そうでもしないと、今すぐ席を立ってしまいそうだったから。

 

「……無理に決まってるだろ」

『あは、だよなー』

「もう切るから」

『じゃあさ、寝る前に俺のこと、思い出してね?』


 じゃ!またね、そう言って電話は切れた。どういう意味だと聴き返そうにも、スマホの画面はいつものメッセージ画面に切り替わっている。勝手に電話してきて勝手に電話を切るとは、なんなんだアイツは。眉間を揉みながらテーブルに肘をついて、息を長く吐き出した。少し行儀が悪いのは全部伊吹のせいだから、ちょっとの間許されたい。すると、背後からクスクス笑う声が聞こえて振り向くと彼女が居た。


「伊吹さんと話してる一未くん、楽しそうだね」

「楽しいって言うか、疲れる……」

「またまた、素直じゃない、伊吹さんの話してるときすごく楽しそうだよ?」


 傍から見れば楽しそうに見えるのか?こちらとしてはアイツの無茶苦茶に振り回されてるだけな訳だが、意外性があると言う意味では楽しいのかもしれない。


「会ってみたいなー、伊吹さん」

「え」

「一未くんの相棒、なんだよね」


 それはそうだが、ただの相棒ではなく、つい最近一線を超えてしまった相棒だ。


「今度お夕飯でもご一緒どうかな」


 絶対嫌だ。


「今度のお休み、セッティングお願い!」

「……聞いてみるよ」


 無理。


 

 その後、食後のデザートで出てきた可愛らしいケーキの甘みをあまり感じることができずに、憂鬱な気持ちで平らげた。足りないと満足感を得られていなかったはずの胃は、謎の疲労感でいっぱいになっていた。むしろケーキのクリームでもたれているような気すらした。とりあえず彼女と共に自宅に帰りそれぞれ好きにくつろいで、帰り道で買ったデリと家にあるもので夕食を済ませた。俺はビール、彼女は赤ワインを舐めながら、ソファーに並んで映像配信サイトで最新作の映画を再生した。ハリウッドで話題の俳優たちの美しさを全面に出したどちらかというとアート映画という感じで、途中からぼんやりと画面を眺めている。こんな時にだったら伊吹からのダル絡みLIMEでも相手してやってもいいのに、何を察したのかわからないが、あの妙な緊張感ある通話以降なんの音沙汰もない。肘置きに頬杖をついて、画面に映る大きな湖が綺麗だなー、あ、わかさぎの天ぷら食べたい、なんてくだらないことを考えている。すると彼女がふわりとこちらに凭れて、膝に置いていた手を握られる。……とてもそんな気にはならなくて、そっと体を起こした。


「眠くなった?ここ片付けとくから、先、寝て」


 ナッツや小さなチョコレートが乗ったトレイを持って席を立つ。何気なく避けたつもりが、返って逆効果だったようで俯いて頭を振る彼女。


「……最近、全然触ってくれない」

「……そうかな」

「今日も手も繋いでくれなかった」

「結構歩いたし汗ばむかと思って」

「手繋ぎたいなってずっと見てたのに」

「ええ……」


 ずっと見てるくらいなら口で言えばいいのに……思わずそのまま言いそうになって、ぐっと言葉を飲み込んだ。こういうとき伊吹なら素直に何して欲しいって言うだろうな、あの夜だってここ気持ちいからもっと、って……

 ……俺は今何故伊吹を引き合いに出した?自分の思考が恐ろしくなって、トレイをテーブルに戻し元の場所に腰を掛け直す。彼女に向き合って手を取った。


「不安にさせてごめん、そんなつもりは無くて、気付けなくてごめんな?」


 最大限の優しい声と顔で、小首なんか傾げて言ってみると、彼女は頬を赤らめ見つめ返してきた。よし、なんとかなった。明日も仕事だし今日はもう寝ようと誘導するため、空気を変えるために明るい声で問いかけよう、そう思った矢先、今度は彼女が「ベッド連れてって」と呟いた。彼女と二人きりの状態で先日の伊吹の痴態を思い出してしまい、どこに向かっているか分からない罪悪感が胸に渦巻いて、本当にそういう気分には微塵もなれそうにない。性に合わない甘い顔を見せた後だ、疲れてるからと一蹴することもできずとりあえず手を引いて寝室へ向かう。一人暮らしのマンションの一室の広さなんて高が知れている。あっという間に寝室に着いてしまう。彼女をベッドに座らせて、体ひとつ分空けて座る。


「……本当に、疲れてないか?」

「私の心配してくれるの?全然、大丈夫」

「そっか」


 映画館じゃなくて水族館か動物園にすればよかった。


 その後は気合を入れて彼女とベッドに潜り込んだ。別にそういうことが面倒臭い、と言うわけではないし、枯れたわけでもない。その1回が無事終わればなんとかなるだろうと臨んだ。やはり、精神的な疲労があるのか、なかなか奮い立たない自分自身に、徐々に焦りを覚えながら進めて行く。もうそろそろか?というところで、何とか立ち上がれ!と自分の手で鼓舞するもうんともすんとも……あの手この手で場を繋ぐが、流石に手札がもう無くなってきた。目の前のことに集中しようとすればするほど、熱が遠ざかるような心地がする。な、なんでだ?と焦りが本格的になってきたところで、するりと手を取られ恋人繋ぎをされた。誘導されるまま手をついて覆いかぶさる体制になる。指を絡めてベッドに縫い止められるその手を見て、伊吹の骨張っている長い指が白んで、力任せに自分の手の甲に爪を立てる光景がフラッシュバックした。その瞬間心臓がドクンと大きく波打ち、冷えかけていた体が熱を取り戻す感覚を得る。なりふり構ってられない。そのまま伊吹の姿を思い浮かべながら、事なきを得た、のか?



◇ 

 


 翌朝の虚無感といったら、他に変え難く、俺ってもしかして、やっぱり、最低……?と思うなどしている。いや違う、あの夜の記憶があまりにも鮮烈すぎたせいで、下半身がちょっとバグっただけだ。彼女を大事に思う気持ちに嘘はないし、関係を壊したくはない。上機嫌で仕事へ向かう彼女を見送って、自分も出勤の準備に取り掛かる。伊吹に会ってみたいと言う彼女には悪いが、今の俺の心境的に絶対に会わせたくはないし、その場に居たくない。しかし、長年の付き合いの同僚だと言う相手を、婚約相手に会わせないというのもやはりおかしいだろう。彼女には伊吹の話を度々してしまっているが、伊吹にはあまり彼女の話題を振ったことはなかった。相棒である俺の婚約者というだけで、伊吹にとっては他人である。乗り気じゃないだろうし断ってくれ、と言う体で自然に誘導して有耶無耶にしよう。伊吹だってアレの後な訳だし、流石に気まずいだろう。


「……と言うことなんだが、流石に断ってもらってかま「え?!マジ?!志摩の彼女ちゃん、会いたい会いたい!会ってみたーい!」


 なんでだよ、何でそこ喜べるんだよ。

 本当に勘弁。


 とんとん拍子に日程が決まり、引き攣る笑顔で彼女に報告する。心底楽しみにしていたらしい彼女は「伊吹さんビールがお好きって、一未くん言ってたよね!クラフトビールがいっぱいあるお店、先輩に教えてもらったから予約しちゃった」と、興奮気味に伝えてくれた。ああ、準備がいい。気が利いて素晴らしいな……どんな顔でその席に座っていればいいか、益々分からなくなったままその日を迎えた。

 夕方やや早めからの予約で、10分前に彼女と店について伊吹を待った。その5分後、伊吹は現れる。白いワッフル生地の柔らかそうなロングTシャツにブラックデニムのジャケット、シルバーのシンプルなネックレス、珍しく足首を出して軽やかそうな革靴を履いていた。伊吹の私服の中ではいわゆるキレイめに見える装いだった。こっちだと声をかける間も無く、俺たちを見つけた伊吹がこちらに向かってくる。


「志摩おつかれ〜、あ、どうも、初めまして!志摩くんの相棒やってます、伊吹藍です!」

「志摩くん」

「わあ……伊吹さん、噂はかねがね……お会いできて光栄です!」

「いや〜志摩お前、めちゃくちゃきゅるきゅるな子捕まえて、すみっこぐらしにしておけねーな!」

「勝手にゆるキャラにするな」


 やだ伊吹さんったら!なんて言いながら握手している。伊吹は自分勝手に他人を傷付けるようなヤツではない、それは分かっている。あの夜の伊吹の発言を思い返す。秘密を共有することになった俺たち。妙なことを口走って勘繰られないか、不安はある。伊吹との関係と、彼女との未来、どちらか選択できないでいる俺は、どんな顔をしていればいいのか。いっそのこと粉々になりたい気持ちにすらなっている。そんな心ここに在らずな俺を置き去りにして二人の会話は至極和やかに進んでいる。伊吹は調子がいいところはあるが、人との会話を楽しみ楽しませるのも上手い。人好きのする伊吹を一瞬で気に入ったらしい彼女は、テンション高めに楽しんでいる。険悪さなどは微塵も感じない雰囲気にホッとするも、この二人が仲良くなるのはそれはそれでどうなんだろうとまた不安の種を拾う。気を紛らわすためにこの店の売りだと言うクラフトビールに舌鼓を打つことにした。おすすめの通り、種類豊富なクラフトビールは選ぶところから楽しく、ペアリングの提案なんかもしてくれる。興味津々になりながら店員さんの話を聞く二人の真剣さに気が抜けて、もう何でもいいやと複雑さを極める思考を投げ出した。

 様々なクラフトビールを楽しんだ後、好きな彼女がおすすめのワインが置いてあるとオーダーをし三人でボトルも二本開けた。酒が結構強い印象のある伊吹も、飲みなれないワインに酔ったのかいつもよりふわふわしだした。俺もはしゃぐ二人に釣られてペース早く飲んでしまって酔っている自覚がある。料理もドリンクも、時間をかけたっぷり味わったことだし、お開きになった。たまたまか気遣いかはわからないが、俺と伊吹の最寄駅にある店だったので、家が少し離れた彼女を伊吹と共に駅まで送る。


「志摩の家行かないの?」

「私、明日仕事で朝早いの、だから今日はここで」

「そっか、俺たち当番明けなの、気使ってくれた?ありがとうね」

「全然!お誘いしたのこちらだし、ね?」

「ああ、うん、そうだな」


 駅でじゃあおやすみ、気をつけて、と手を振って別れた。伊吹が「おうち着いたらメッセージ入れてー!志摩にー!」ともう改札を通ってホームに向かっている背中に呼びかけている。声の調節がおかしくなっている酔っぱらいの後頭部を軽く叩いて、俺たちも帰り道を歩み出した。


「めぇーっちゃいい子じゃん!素直で明るくて、かしこそう!」

「まあ、そーだな、俺にはもったいないくらい」


 視線を感じて横目だけ向けると、伊吹があの時とおんなじにんまりとした笑顔でこっちを見てくる。


「なんだよ、その顔」

「いやぁ、俺ドキドキしちゃった」


 上機嫌そうに揺れながら歩く伊吹が一歩前に出た。


「志摩がこの子とねてるベッドで、俺たちもねちゃったんだなーって」


 楽しくてしょうがないと表情を顔面に貼り付けながら、こちらを振り向いて「ね、ドキドキすんね」と笑う。ドキドキと言うかズキズキする、頭が。


「ねえねえ志摩は?ドキドキした?」

「してたよずっと、今日まで!」

「えーマジ?むっつりスケベ〜」

「誰のせいだと……」

「俺〜」

「分かってんなら勘弁してくれよ、マジで」


 酔ってるくせにぴょんぴょん跳ねながら歩く伊吹が危なっかしくて、さっきから俺の肩に体当たりをしてくる。その調子で電柱にぶつからないかハラハラする。


「ふい〜、ワインなんか久しぶりに飲んだなぁ、俺今めっちゃ酔っぱらい!」

「見りゃわかる、まっすぐ歩け」

「ええ?俺まっすぐ歩いてない?しま、手!」


 そう言って俺の手を掴んで手のひらを開かせたかと思うと、指を絡ませぎゅうっと握ってきた。


「ね、しま、俺の手、めっちゃ熱くない?」


 しっかり握ったまま俺の手を口元までひっぱり、俺の手の甲に伊吹の唇が掠る。


「志摩の手も、あっちーね」


 唇が掠るまま伊吹が内緒話をするようにささやき、猫のように目を細め、上目遣いでこちらを見た。


「こーやってぎゅってしてると、どっちのが熱いか、わかんないね」


 そう言うと、強く握られていたはずの指の力が抜けて行くのがわかって、反射的に伊吹の手を強く握り返した。熱が籠り手相まで違わず重なり合うこの手が、今離れて行くのがあまりにも惜しく、寂しく感じたからだ。


「志摩?」

「ここからだと、俺の家のが近い」

「ん、ふふ」

「えっと、酔い覚ましに、コーヒーでも」

「えー、寝れなくなっちゃうなぁ」

「……」

「ココアある?」

「……ある」

「じゃあ俺、甘いのがいいな」


 右肩に伊吹がもたれながら、またゆっくり、力を込めて握り返してくる。そこからは高鳴っている鼓動に合わせて、早歩きをした。早歩きをしているから、心臓が強く胸を叩いているんだと言い訳をするみたいだな、と思った。自宅のエントランスに着いてからは、お互いに無言で玄関を抜け靴を脱いだ。先に上がった俺を伊吹が後ろから首に長い腕を巻き付け抱き締めて、耳元に「準備してある」と吹き込んだ。そのままやや乱暴に伊吹の腕を掴んで壁に押し付け、強引に唇を重ねた。キスをする荒々しい呼吸の合間で問いかける。


「こうなるの、わかってたのか」

「は、違う」

「じゃあなんで、準備なんかしてんだよ」

「……期待してた」


 伊吹が両手で俺の頬を包み、鼻先が触れ合う距離に引き寄せられた。赤い果実のように赤く滴る唇を目の前にして、喉の渇きを感じ無意識に喉が鳴る。


「……って言ったら?」

 

 そう言い終わらないうちに、伊吹の少し鋭利な犬歯で下唇を甘噛みされ、ぴり、と甘い刺激が走った。頬に添えられる手の甲を掴んで、もう一度口付ける。そのまま伊吹の伊吹の首筋にかぶり付いて、伊吹が息をつめ震えるのを感じる。その時先ほどまでは香らなかった、バニラが混じる甘い香りに気が付く。


「……甘い香り?」

「ン、わかった?クリーム付けてきた」

「さっきまで、しなかった」

「この距離じゃないと、香らないからね」


 伊吹が俺を誘うように、色っぽく笑いかける。絶対わかっていた、俺がこうなってしまうことを。


 


 その後は無我夢中で伊吹を求めた。知らない香りがする伊吹の素肌に身を焦がされるようで、執拗にさらに奥へと、体を暴いてしまった気がする。翌朝、ガラガラの声で腰が痛いと不機嫌に言う伊吹にせっせと常温の水と温かいココアを運んだ。約束通りココアが出てきたことに目を丸くして驚く伊吹が「おいしい」と呟く。その声の音色に喜びが滲んでいることにホッとする。まだ薄暗い時間に寝室を抜け出して、コンビニまで粉末のココアを買いに行ってよかった。ベッドに腰掛けて伊吹の跳ねる寝癖を撫で付ける。


「嘘かと思った」

「甘いのが良かったんだろ?」


 口の端についた滴を舐め取りながら、伊吹がバードキスをした。


「甘いのって、こっちの意味だったんだけどな〜」


 なぞなぞを思いついた悪ガキのように笑う伊吹に、もっと口付けようと身を乗り出すしたがふいと避けられる。「志摩!風呂!」と、さっきまでのまどろむ甘い雰囲気を忘れたように吠えられた。しぶしぶ風呂の準備をして寝室に戻ると、俺が着ていたカーディガンを首に巻くように抱きながらうとうとしている。やっぱ無理させすぎたな、と反省。このまま寝かせてやりたいとも思ったが、もう一度寝直すのであればスッキリした方が安眠できるだろうと、できるだけ優しく肩を摩り揺すった。


「伊吹、風呂、準備できたぞ」


 眠そうに目をぱちぱちさせハッと目を大きく開いて、おふろ、おふろいいね……と呟いたかと思うと、むにゃむにゃいいながらまた瞼が降りて行く。その様子に若干笑いそうになりながら、心を鬼にして伊吹の両腕を引っ張って体を起こした。

 

「オラ、風呂沸かしてやったんだから、起きろ」


 人語だとギリ判別できる声で伊吹が何か喋る。恐らく連れてけと言ってるらしかった。反射的に嫌だよ自分で歩け、と言いかけたが、伊吹の腰が痛むのは俺のせいなので、言葉をぐっと飲み込んでその両腕を肩に担ぎ背中になんとか伊吹を乗せる。よいしょと伊吹の体重が俺に移った瞬間、伊吹の長い手足が巻き付いてきた。肩に顔を埋めてくふくふ笑う声がする。


「なんだよ、起きてるじゃねーか!」

「今起きたんですぅ、はい!しま号!ごー!」


 落とさないように一歩ずつ慎重に足を踏み締める。伊吹は下着とカーディガンを羽織るだけの格好のため、投げ出された生足に食い込んだ指の後、内腿には明らかな小さな鬱血が点在している。飲み慣れない酒に酔って曖昧な箇所はあるが、断片的に記憶が熱となって蘇ってくる。これはよろしくないな、と思って風呂場に向かうことに集中した。ようやく脱衣所に到着すると、慎重に足を床に着けそろりと伊吹が背中から降りる。一人で立とうとした瞬間、伊吹がおっと、とよろめいた。咄嗟に片手で腰を引き寄せ支えると、鼻先が掠めるほど顔が近くなった。伊吹の頬にぽっと赤色が差す。


「ご、ごめん、足の付け根、力入んなくて」

「いや、俺こそ、ごめん」

「お風呂ありがとう」


 伊吹が服を脱いで浴室に入っていく。


「志摩は?入んないのお風呂」

「俺はシャワー浴びたから」

「一緒入んないの?」

「入りません」

「いっしょはいろ」

「入りません!」

「え〜?ケチ」

「なんでケチになるんだよ、朝飯用意しとくから大人しく浸かれ!」


 浴室のスライドドアから顔だけ出した伊吹の口がとんがっている。そんな顔したってダメなものはダメだ。これ以上煽られて無理を強いることになったりでもしたらどうするんだ。大人しくスライドドアを閉じたのを確認して、伊吹が着られそうなサイズの部屋着とバスタオルを取りにクローゼットを漁る。うちにあるスウェットのズボンは何履かせたってつんつるてんになるだろうし、これでいいか……テキトーに見繕う。そう思うと、度々うちに泊まっていく伊吹だが、横着して部屋着を置いていったり、家主から借りることはせず、毎回着替えを持ってきていたんだと気付かされる。妙に律儀なところがあるとは思っていたが、それは伊吹なりの線引きだったのかもしれない。冷蔵庫にあった豆腐と乾燥わかめで味噌汁、早炊きモードで十五穀米ご飯、ベーコンと目玉焼き、あと小分けパックのキムチ。男が作る朝飯なんてこんなもんだろう。いやむしろおかずが3つもあってなかなか嬉しいラインナップ。炊飯終了の電子音が鳴ると同時に、伊吹も風呂から出てきた。


「お〜!朝ごはん!着替えもありがとな」

「いえいえ、どーぞ、飯どんぐらい盛る?」

「んー少なめでいい」

「あそ?遠慮しなくてもいいんだぞ」

「まだお腹いっぱいだから、少なめで」

「ココアだけで?」

「んーん、しまで」


 そう言って下腹辺りを摩る伊吹。……俺でお腹いっぱいって、そういう。炊飯器から立ち上る湯気が顔面に張り付くみたいに、じわっと顔に熱が集まるような感覚がする。


「あ、今何想像した?」

「やっぱおかわりって言う伊吹」

「はい嘘〜、素直じゃねーなあ」


 隣までやってきて顔を覗き込んでくる伊吹の視線から逃れるように、気持ち少なめに盛った茶碗を押し付ける。にんまりゆらゆらしている伊吹を無視して、ダイニングテーブルに着く。声を揃えていただきますと言い、手を合わせて箸を進める。時間に追われることなくゆっくり食べられる朝食というのは、すごく贅沢な時間に思える。まだ昨日の疲労が心地よく残って、気持ちも穏やかに凪いでいる。空模様も快晴ではなく薄曇りで、淡い色の影が窓の外を縁どっていた。今日は予定もないし、盛大に汚した寝具を洗濯して掃除しよう。伊吹はこの後予定があるのだろうか、そう思いながら伊吹を見た。静かにもぐもぐを口を動かして俯く目元が緩く閉じていて、まだ眠たさが滲んでいるように見える。そして目が開いて、目が合って、微笑まれる。声も無しに「なに?」と目線が俺に問うた。いつもよりスローな一連の動きから目が離せなくて、でも何かを聞きたかった気がしたが、何も浮かんで来なかった。朝飯に夢中だった意識がこちらに向いていることが、ぼんやり好ましく思ったので何も言わず見つめ返した。もぐもぐ、ごくん、しっかり咀嚼し終わった伊吹が首を傾げる。


「しまちゃん?なによ」

「いや……まだ眠そうだなって思って」

「ん〜お腹いっぱいになったら眠くなってきた」

「そうか、寝ていけば?」

「いーの?」

「ああ、まあ、お前に予定が無ければ」


 そうだった、この後の予定の有無を聞こうと思ったんだった。伊吹の眠そうな声を聞いたら、俺もまだ脳みそが覚醒しきっていない気がしてきた。


「じゃあ家帰んのだりぃし、寝ちゃおっかな」

「ん」

「片付け、俺やるね」

「悪いな」

「働かざる者食うべからず」

「おお」

「感心してんなよ」


 テキパキと食器がシンクへ下げられていく。水道が流れる音がする。その様子をぼーっと眺めるだけの人になっていると、コトンと目の前にマグカップが置かれた。ほうじ茶の香ばしい湯気に顔を寄せる。


「はいどーぞ」

「……ありがとう」

「ふ、志摩もまだふわふわだね、眠そー」


 伊吹の大きな手が俺の髪をわしゃわしゃと撫でていく。じんわり暖かい手のひらが心地よく、思わず目を閉じた。伊吹がひとりごとみたいな声で「トイプードル」と言った。どういう意味だと問いただそうと浮かんだが、すぐに思考が霧散していく。スウェットのポケットに片手を突っ込みながら横に立つ伊吹の腹あたりにでこを預けて、ぐりぐりと擦り付ける。


「今ならぁ抱き枕募集中だけど、いかがっすか?」

「……じゃあ、応募しちゃおうかな」


 下から伊吹を見上げるとポンポンと後頭部を撫でて離れて行く。朝飯の片付けを済ます間、ほうじ茶を啜りながら大人しく伊吹を待った。洗濯物は……昼寝から覚めたら回そう。皿洗いが終わった冷たい伊吹の手に引かれて寝室に入る。ベッドに寝転んだ伊吹が腕を広げ掛け布団を捲って招き入れてくれる。宣言通り抱き枕としてそこに収まると、伊吹の手足が巻き付いた。その体温と力強くもゆったりと脈打つ心音に目を閉じると、あっという間に意識を手放した。


 


 目を覚ますと既に夕方だった。完全に寝過ぎた。

 起き上がろうにも、長く重い手脚が変わらず纏わり付いていて起き上がれない。ぽい、と上に乗っかる腕を放り投げると、バネ仕掛けのおもちゃのように戻ってくる。腰に引っかかる脚を膝を使って外しても、また同じようにびよん、と戻ってくる。


「……」


 その手脚の持ち主を見上げても目を瞑ったまま、健やか寝息を立てている。じゃあ同時はどうなるんだ、と思って腕も脚も放り投げる。すると蝶番のように体が開くも、同じようにびよんと手脚が戻ってくる。二枚貝、または古典的なねずみ捕り。


「ふはっあははっ」

「んはっいひひ……」

 

 やはり狸寝入りだったか。あくまでも寝ぼけている体を崩さない伊吹に笑ってしまう。寝起きの開ききらない目元が緩いアーチを描いている。

 

「しまちゃ〜ん、おはよぉ」

「おはよ、起きてたなら起こせよ」

「んや、志摩がモゾモゾしたときに起きたから……めっちゃ寝た!」


 寝転がったままの伊吹がその場で腰をねじってストレッチを始めた。それに習ってベッドサイドに足を下ろし首や肩を回す。するとリビングの方からスマホの着信音がし始めた。……嫌な予感にドタバタと向かうと、案の定彼女だった。


「、もしもし」

『……やっと出た』


 その声色に怒りを感じ取り咄嗟にごめん、と返した。それがさらに彼女の機嫌を損ねてしまったようで、LIMEの既読も昨日の夜から付かないし朝連絡しても同じで心配したのだとまくし立てられる。言われてみれば、昨晩はもちろん、いまの今までスマホというものを見てなかったな、と思った。せっかくスッキリ目覚められたというのに、どんどん面倒くささで体が重くなる。


「あのさ、俺だって疲れてるんだ、謝るから寝起きでそれ辞めてくれ」

『今まで寝てたの?私が仕事してるって言うのに?』

「……それはお互い様だろ」

『もういい、疲れてるところごめんなさい、じゃあ』


 ……電話が切れる。ソファーに体を沈めて深くため息を吐いた。酔ったまま相棒とセックスして、今までその相棒の抱き枕を務めてました。なんて、言える訳がない。テーブルに投げるようにスマホを置いて、目を覆った。


「あ〜あ、何志摩、昨日からLIME返してなかったの?」

「そーみたーい」

「俺言ったじゃーん、お家ついたら志摩に連絡してーって、マメじゃない男は嫌われるぞっ!」


 頬を膨らました伊吹に怒られている。お前はどの立場なんだよ、そこはえ〜彼女さんキビシー、俺ならそんなこと言わないのに〜じゃないのかよ、と思っていつの間にか横に来ていた伊吹をチラリと見た。


「え、放置?」

「いや……もういい、とか言われたし」

「は?!バッカお前!そこでかけ直して心配かけてごめん、言い過ぎた!って頭下げるとこだろうが!」

「ええ〜、めんどくさ……」

「いいか〜志摩ぁ、何気なく仲直りするかもしれないけど、こういうのはチリツモなんだよ、返せる時に返しておかないと、肝心な時にドッカーン!なんだからな!」

「何それ、伊吹の経験談?」

「俺はもともとマメな男ですぅ、つか俺の話題に切り替えんな!ホレ!電話!」

 

 伊吹に持たされたスマホを持って、通話ボタンをタップするだけのところで手が止まる。顔の真横で伊吹に睨まれている。


「……」

「……」

「あっコラ!」


 伊吹に通話ボタンを押された。すぐに呼び出し中と表示が出て観念して耳に当てる。ソファーから降りた伊吹が俺の足の間にきて膝に両腕をかけたまま、ワクワクと楽しそうに俺を見上げている。ニヤつくその顔面を手で掴んで握りしめてやりたくなったが我慢してやることにした。何回目かの呼び出しの後に繋がった。


『はい』

「……連絡返せなくてごめん、」


 思ったより酔ってて家着いたらすぐ寝てしまったんだと、心配させたことについて素直に謝罪を述べる。彼女はもう俺がしばらく連絡してこないものだと思ってたらしく、すぐの謝罪の電話に驚いているようだった。……よく俺のことを分かっている、その通り、ほとぼりが冷めるまで連絡しなかっただろう、伊吹の差し金がなければ。何とか丸く収まりそうな気配にホッとしていると、急に伊吹がスウェットスボンに手をかけてきた。彼女が自分の方こそ言いすぎた、と反省の意を述べてた後、職場で嫌なことがあって尚更イライラしてしまっていたことを話している。その内容が全く入ってこない。片手で伊吹の手を掴み止めようとするも、器用に下着ごとずるんと降ろされる。こいつ!お前が電話しろって言うからかけたのに!何考えてんだ!相変わらず楽しそうにしている。何も兆していないそこを握られる。急所を掴まれてビクリと体が強張った。ふわふわと揉まれて、先端にキスをされた。簡単に快感を拾ってしまって、咄嗟に伊吹の前髪を掴むように動きと止める。それ以上は本当に勃ってしまう!顔を押す力に負けじと押し返してくる伊吹は、あろうことか舌を伸ばして先を舐めた。


「、う」

 

 舌先の濡れた感触に思わず声が漏れた。変な声が筒抜けになる前に、はしっと手で口を押さえた。その俺の反応に舌を出したまま笑みをさらに深くした伊吹は、舌先で先端を器用にくるくると刺激しながら、まだ柔らかいそこを右手で柔らかく扱き始めた。伊吹にフェラをされるのは初めてで、彼女と電話を繋ぎながらという状況も相待って、心拍数が上がっていく。徐々に硬度を増して行くそこに、伊吹がパクリと咥え込んだ。彼女の愚痴はまだ止まらないことに安堵感を覚えながら、どんどん伊吹の動きが大胆になる。口を窄め吸い付くように裏筋を舐められ、ゆっくり頭を上下させている。その表情は恍惚として、実に楽しそうだ。そのままちゅぽん、と音を立てて口が離されて、伊吹の唾液と俺の先走りを利用してちゅこちゅこと、いやらしい音を立てながら扱かれた。背筋を駆け上がる快感が思考を鈍くさせて行く。


『それでね、そしたら後輩の男の子がね、』

「う、うん」

 ちゅこちゅこ♡ちゅこちゅこ♡

『それ俺の仕事ですか?部長の仕事ですよね、って言われちゃって』

「……スゴいね」

 ちゅ、ちゅ……ぺろ、じゅうっ♡

『その部長から振られた仕事なんだけど!って、言い返さなかった私、偉かったと思う』

「あぁ、うん、えろ……偉い」


 やばい。伊吹が涙目になりながら顔を赤くして喉まで飲み込もうとしている。エロい。狭い喉がぎゅうぎゅう締め付けてきて、腰が勝手に揺れる。喉奥を突いてしまったようで、反射的に伊吹が顔を離した。


「〜〜〜ッぷは♡けほっけほっ……」


 口からあらゆる液体をこぼしながら小さく咳き込む伊吹に謝罪の意味を込めて、慌てて髪を撫でた。瞳を潤ませどこかぼんやりとした表情で見上げる伊吹があどけなくて、頬を包み込むように撫で親指で涙を拭った。その手に嬉しそうに擦り寄る伊吹が犬に見えて仕方なかった。


『一未くん、咳?大丈夫?』

「え?!大丈夫、あー口開けて寝てたかもしれない」

『もう、それでね、』


 油断した隙にまた伊吹が舌を這わせてくる。ガチガチのままのそれが喜んで涙を溢した。どうやら、バレてはいけないというスリルに興奮しているのはお互い様のようだった。伊吹の腕を軽く掴むだけだった手がいつの間にか絡め取られ、恋人繋ぎになっている。ラストスパートと言わんばかりに右手で根元から扱かれ大胆に頭を上下して、俺の絶頂を煽ってくる。繋がれた左手を強く握って、快感を逃がそうとするもどんどん追い詰められていく。


「っう、ふ……」

『ごめんね話し込んじゃって、ちょっと熱っぽい?』

「ハ、うん、そう、かも」

『そっか、しっかり休んでね』

「ありがとう」

『電話、嬉しかった……悪化する前に病院行ってね!』

「……うん、ちゃんともう、イくよ」

『ふふ、もう行くって何?病院嫌いなくせに』

「っはあ、もうイった……」

『過去形?さては寝ぼけてるな?じゃ、切るね』


 そうして、通話が終わった。

 最後の一滴まで吸い尽くされるようにして、伊吹の唇が離れて行く。己のそれが伊吹のぬらぬらと光るふっくらした唇から出て行くのを、肩で息をしながら見つめた。


「ん、ふむ……いっはい、へはね」

「おかげ、さまで……?」


 伊吹がべっ、と舌を出して白濁を見せてくる。……わあ、本当にいっぱい。のろのろとテーブルの下にあったボックスティッシュから数枚取り出して伊吹に差し出す。受け取ってもらうつもりで差し出したが、そのティッシュの上に舌を伸ばして吐き出した。健康的な桃色の伊吹の舌を伝うように、とろとろと出て行く。そのグラデーションがとても扇状的に見えた。


「んえ〜!まじぃ」

「伊吹お前、自由人もいい加減にしてくれ」

「ん?ふふ、志摩も楽しそうだったじゃん」

「……」

「おっ図星〜!志摩こういうの好きそうだと思った」

「ふざけんな、お前の性的嗜好だろ!」

「は?なに?冷製シチュー?俺シチューはあったかいのがいい〜、口濯いでくる」

「おいコラ待て」


 さっさと立ち上がって洗面所に向かおうとする伊吹の肩を掴んで静止する。


「何さっさと終わらそうとしてんだよ」

「ウッ、ちょっ」


 伊吹のそれが勃ち上がってスウェットを押し上げているのを見逃す俺ではないのだ。その幹を指で挟むように行儀悪く足先で押す。


「俺の舐めて勃たせてんの、どこの誰だ?」


 顔を赤くしてこちらを睨み上げる伊吹に、知らずと笑みが深くなった。