novel-ふたりきりのバカンス

 

 


 働き方改革が進む昨今、有給休暇による大型連休の取得をするように上層部から御触れが出た。我らが第四機動捜査隊もその当番が回ってきて、先ずは班長である陣馬さん、相棒の勝俣が取得することとなった。なんと、七連休。一週間まるまる休みなのだ。

 勝俣は彼女と休暇を合わせて、沖縄に旅行するんだと嬉しそうに語っていた。どうしても急なシフト変更や非番での呼び出しも、ままある仕事だ。彼女は勝俣の仕事をよく理解していたし、それに対していつも笑顔で送ってくれるんだと、飲みの席で嬉しそうに語っていた姿を知っている。理解があるからこそ、我慢をさせているのもよくわかる。そんな彼女に日頃の恩返しが出来ると、出たばかりのボーナスと貯金から奮発するんです!と、拳を握り締めていた。旅行はもちろん何より、勝俣のその気持ちが嬉しいんだろうなぁ、と夢想しながら微笑ましく見送った。陣馬さんは、一週間も家にいたってすることないし、嫁と娘に煙たがれるだけだ……と落ち込んでいたけれど、家族に話したら案外喜ばられ、息子夫婦、そして義理の娘の家族と合わせて温泉旅行の日程がとんとんと決まったらしい。照れくさそうにしながらも、やはり家族団欒の時間が嬉しいようだった。

 そうして真っ黒焦げの勝俣とほくほく顔でお土産のご当地うどんを両脇に抱え込んだ陣馬さん、401の二人が一週間の休暇を満喫して帰ってきた後、ついに404、俺たちの大型連休の番が来た。前々から一週間どうする?と伊吹と相談していたわけだが、勝俣が沖縄に行くと聞いた伊吹が「沖縄か、海、いいな〜」と言ったが、なんでクソ暑い東京からさらに南に行く必要があるんだ勝俣は若いからいいけど俺たちはもうおじさんなんだから嫌だと断固拒否した。

「いいな〜って言っただけじゃん、論破しようとしてくんなよ」

「別に論破しようとした訳じゃない、意見を述べたんだよ俺は」

「てかさてかさ、」

「何」

「志摩ちゃん、一緒に過ごしてくれるの、ゼンテーなんだね」

 伊吹が上機嫌に揺れながらこちらを見てくる。口元なんかはもにょもにょ、むず痒そうに口角が上がっていく。言われてみて思えば、当たり前に伊吹と何しようとしか考えてなかった自分がいた。案外俺も浮かれているのかもしれない、と自覚させられて決まりの悪さに仏頂面を貫いてしまう。伊吹と一週間過ごしたい!とハッキリ言えるような素直さは、おそらく小学生までに使い切った。

「……そりゃ、そうだろ」

「んー?ふふ」

「恋人同士なんだから、フツーだろ」

「んぇ〰〰♡志摩ちゃんがコイビト同士、だぁって♡」

 そう言って伊吹が俺の首に巻き付いた。抱え込まれた頭にすごい勢いで頬擦りされるが、片手で伊吹の腰に手を回して好きにさせる。

「何だよ、お前、なんか予定あるの」

「あるよ、志摩といっぱいラブラブする予定!」

 そう言って伊吹がちゅっ♡と可愛い音を立てて頬に吸い付いた。揶揄われてぶすくれる心が途端にふわっと軽くなる。機嫌が良くなるも悪くなるも、全部理由が伊吹な自分に、素直じゃないだけでつくづく単純だなと諦めて、伊吹の首筋に額を預けた。素直に愛情を伝えてくれる伊吹に習って、俺ももう少しはっきり示せるようになりたいと、思ってはいる、とりあえず精一杯だった。

 そんなやりとりがあって、じゃあ一週間どうするか?という話し合いが後日行われる。普段なかなか連泊できない職業であるから、この機会に遠出をしたいと意見が合致したが、行き先がなかなか決まらない。暑い土地に行きたくない俺と、夏らしさを満喫したい伊吹。いろいろな候補地があがるが、二人が同時に首を縦に振るとこまではいかない。

 ――まさに穴場! 避暑をしながら夏を楽しめる! 大人の観光スポット、行くなら今です!

 付けっ放しにしていたテレビから、今一番俺たちが興味がある単語たちが耳に飛び込んできた。二人同時にテレビに釘付けになる。

「「……ココじゃん」」

 そこからは早かった。スマホとメモ帳片手に、二人してテレビに齧り付いた。その大人の観光スポット、というのは成田から飛行機で五時間ほどの海外だった。旅費に目処をつける気がなかった俺たちは、すぐさま航空チケットを取り、ホテルを決め、初めての海外だという伊吹のパスポートを申請し、水着は?うきわは?旅のしおりは?と大慌てしているうちに、出発の日を迎える。

 前日に初海外楽しみすぎて全然眠くないわ!と、はしゃぎ倒していた伊吹は、案の定「まだ眠い……」と珍しくぼんやりしていて動きが鈍い。でっかいキャリーケースとでっかい相棒の手を片手ずつひっぱって、空港までの道を急いだ。電車の中で爆睡していたくせに、空港に着くとすっかり元気になった伊吹が、ほぼ初飛行機やべ〜と言いながらまたはしゃぐ。

 空港土産を買おうとする伊吹に「行く前に荷物を増やすなアホ! そういうの持ち込めないから! 買うな!」と声を張り上げていたら、観光で来日しただろう異国のカップルに「ユアブラザー?」と微笑まれながら尋ねられてしまった。確かに若く見えるし、はしゃいでる伊吹が弟に見られていることにウケて何も言えずにいると、ハートの形をしたふざけたサングラスをかけたままの伊吹が「のーのー! うぃーあーらぶらぶ らばーず♡」と、カタコトの英語で指でハートを作って答える。恥ずかしげもなくそう言い切る伊吹が眩しくて恥ずかしくなって固まっていると、そのカップルが「リアリー? ソーキュート!」とかなんとか言ってハグを求められた。よくわからないままその挨拶を受け取る。通じ合っているのかいないのか、よくわからないが意気投合したらしく、そのふざけたサングラスを奢ってもらっていた。なんでそうなる。「はばないすとりっぷー!」と言いながら伊吹がそのカップルを見送る。

「伊吹お前のそういうとこ、マジで尊敬するわ……」

「はい、これ志摩ちゃんの分」

「え?」

「ユーおそろいにしちゃいなよ! って志摩のもくれた!」

「なんでそうなる」

「ユーアーじゃぱにーずべすとかっぷる! だって」

「なんでだ」

 伊吹によって頭にふざけたサングラスがかけられる。……こういうヤツがいちばん英会話上達するんだろうな〜と、現実逃避気味に考えた。すぐさまそのハートサングラスをとりあえず胸ポケットにひっかけて搭乗受付まで進む。ちょっと道草しすぎた。パッパと手続きして、さあ後はもう飛行機に乗るだけ、というところで伊吹が「ねえ俺窓側? これ窓側?」と言い出した。

「そうだよ、伊吹外見たがると思って」

「マジか! やった! さすが志摩! わかってる!」

 ウィンクしながら伊吹が俺を指差す。

「外見たかったら言えよ! 席交換してやるから!」

「いや別にしねぇよ……そもそも、席ごとに搭乗者の登録してるから、勝手に交換しないんだよ」

「え? そうなの?」

「そう、事故が起きて、個人が判別できなくなったときに、そういう情報と照会するんだ」

「個人が判別できない……」

 伊吹が弱々しく復唱する。そうだった、子供の頃祖父母に連れられて旅行をした時に飛行機に乗った以来、飛行機に乗るような旅行はしてこなかったという伊吹、乗る前からビビらせるようなことを、つい言ってしまった。眉間に皺を寄せ悲しそうな顔をして、俺のシャツをぎゅっと握っている。ガキか!と突っ込みたくなって、笑いを堪えながら視線を外した。

「おい志摩ッ! 笑い事じゃねーぞッ!」

「あーもー腹痛い、無事着きますように〜ってお祈りしなきゃなぁ」

 緊張丸出しの真顔でガンを飛ばしながら搭乗口から乗り込むが、俺のシャツから手を離そうとしなくてカッコがつかない。キャビンアテンダントの説明を、捜査会議でもそんな真剣な表情したことないだろ、という面持ちで聞いている。離陸直前に伊吹が小さな声で「しま、てかして」としょげ犬の顔で言ってきた。はい、と片手を差し出すと痛いくらいの強さで握られる。「よし、これで平気」と、小さく息を吐いた。ぎゅうと力一杯握ってくる手を握り返して、宥めるようにもう一方の手でぽんぽんと撫でた。

 緊張していたのは最初の1時間程度で、落ち着いてくると耳が変な感じ!と笑ったり、腹減った!と元気に機内食のサンドウィッチをもぐもぐ楽しそうに食べていた。しまいには小腹が満ちて昼寝を始めた。本当に、隣にいて飽きないヤツである。健やかに眠る呑気な表情に釣られて、くぁあと一つ欠伸をすると、眠気がやってきた。朝も早かったし、大騒ぎしたし到着まで寝てしまおう。そうして目を閉じた。

 

「……――ま、志摩! しぃま、起きて! やばいよもう着くよ、着陸!」

「ンガッ……爆睡だった、もう、着くのか……」

 伊吹に揺さぶられて目を覚ますと、飛行機の小さく切り取られた窓から日本じゃあまりお目にかかれないスカイブルーの海が広がっている。

「すっげぇキレイ……ついに来ちゃったんだな!」

「ああ、そうだな、俺たちのバカンス……!」


 ふたりきりのバカンス


 十五時ちょうどのチェックインに合うように出発して、予定時刻とほぼ違わず現地入りした。おそろいの浮かれたサングラスを身につける俺たちをみて、屈強な入国審査官が鼻で笑っていた気がする。何だよ、文句あるか。今回ばかりは日々業務を全うする警察官ではなく、堂々とおそろいを身につけるただの浮かれたラブラブカップルだ。俺たちを阻むものはなにもない。羞恥心から胸ポケットにかけたままだったサングラスをもう一度かけ直して、伊吹の腰に腕を回して後にした。腰を抱かれた伊吹はちょっとだけ驚いた後、嬉しそうに笑って俺の方へ寄りかかった。うん、青空と笑顔が似合うな伊吹は、好きだ。空港とホテルまでは歩くと二十分ほど、大きな荷物もあるしタクシーを利用することも考えたが、五時間のフライトで凝り固まった体をほぐすため散策も兼ねて歩いて向かうことにした。この地の気候は暑くも寒くもなく、日本で言うなれば湿気のない初夏くらいの気温で、のんびり歩くのにちょうど良かった。観光客はいるものの混み合った感じでもなく、それぞれが好きなペースで歩んでいた。並ぶ店、置かれている商品、日本とは全然違うものたちに二人して目を奪われる。好奇心旺盛な伊吹はふらりと変な土産物に手を伸ばすが、その手をリードよろしくクンと引いて「お土産は?」「帰りに買う」「かさ張るものは?」「一旦冷静になる」と、頷き合ってまた歩みを進める。どさくさに紛れて手を繋いだ訳だが、伊吹は気にしていない。それに、それをいちいち気にするような人は周りにいない。改めて、そうか、ここは日本じゃないんだ、と思い直す。「帰りアレ買う〜ゆたかにはコレ!」なんて言いながら歩いた。

 のんびり歩きながらも、気付けば今回二泊するホテルに到着。誘導されたカウンターで出迎えるのは、欧米系の容姿のホテルマンだった。さあぎこちない英語で伝わるのかと身構えたが、俺たちが日本人だとすぐにわかったようで日本語で対応してくれ、チェックインも実にスムーズにこなすことができた。

「日本語通じてホッとしました、ありがとうございます」

「良かったです、当ホテルのスタッフは全員日本語で対応できますので、ご安心くださいね」

「全員? すげ〜っすね」

「ふふ、お褒めいただきありがとうございます、ごゆっくりお過ごしください」

 チェックインしたすぐにこのホテルで良かったと思わせてくる、そのサービスに感激した。伊吹は「俺、お褒めいただきありがとうございます、って日本語初めて聞いたわ……」とか言いながら感動している。たしかに伊吹は言わなそう。まず言う場面が少なそう。

 部屋に着くと大きなベッド2つと、窓側には足が伸ばせるソファと一人掛けのソファーが並んでいる。開放的な窓からは、輝く白い砂浜と美しいグラデーションを見せる海が窓辺から広がっている。ベランダにはビーチチェアが2つ、海風を楽しむ工夫もあるみたいだった。

「うぉ……海、すげーじゃん、めっちゃ見える!」

「いや、オーシャンビューとは聞いてたけど、こんなすごいとは……」

 客室からの眺望が売りのひとつで、ホテル自体は5階建、ここは3階なので海との目線も近くて十分臨場感があった。

「東京湾とは全然違うなぁ」

「志摩ちゃん、これと比べられたら東京湾が可哀想よ」

「ふ、そうかもな」

 キャリーケースと伊吹の手を引いたまま、部屋に入ってすぐ呆気に取られ立ち止まっていたことを思い出し、ようやく中に進む。

「志摩、ベッドどっち側がいい? やっぱ窓側? じゃんけんする?」

「んー」

「ここは気持ちよく男気で……」

「結局おんなじベッドで寝るだろ?」

「んふ、それもそうか」

 伊吹が肩がけのバッグを鏡台の上に置いて、窓側のベッドにボスンと腰掛けた。背中から振り返って自分の横をぽんぽんと叩いて俺を呼ぶ。ぴたりとくっついて横に座って伊吹の左肩にもたれた。

「飛行機の中で爆睡だったね」

「んー……」

「時差1時間しかないって言っても、朝早かったしな」

「ホテル着いたら、ちょっと気ぃ抜けたかも」

 伊吹の肩に顔をぐりぐりすり付けて、伊吹の肌の匂いを吸い込んだ。潮と異国情緒あふれる香りで満ちた空間に、嗅ぎ慣れた匂いと温度に安心する。自然に伊吹を見上げると、海を見ていたはずの視線とぶつかってふんわり微笑まれた。伊吹の右手が優しく目の下辺りを撫でていった。

「ちょっと寝てから、晩ごはんにしよっか」

「……うん」

 その肩をゆっくりベッドに押してその胸に頭を乗せると、ゆったりとした心音に集中するように息を吐き出した。目の前にある顎を唇ではむ、と挟んでキスをする。

「ふはっ」

 息を溢すみたいに笑った伊吹は、宥めるように俺の肩をさする。

「もー、昼寝するのにいたずらすんなよ」

「せっかくホテル着いたんだから、ちょっとだけ」

 伊吹の上によじ登って、肘を付いて上から見下ろした。照れ臭そうに目元をほんのり赤く染めた伊吹と目があって、惹き寄せられるみたいにキスをした。すぐに伊吹の腕が背中と後頭部に回って、後ろ髪をくしゃりと掴まれる。それがスイッチになって、舌先で強引に口をこじ開けて急速に伊吹の甘い舌を甘噛みした。合間から零れる伊吹の吐息もまた、甘い。

「ん、は、しぁ……」

 期待が滲んで甘くなった呼び声で、視覚も聴覚も伊吹でいっぱいになった。こんな陽の高いうちから、伊吹と共にベッドに沈んでいる。それだけで幸せだった。こんな異国の地まで来て罰当たりかもしれないな。いいや、働き方改革、ありがとう……!


 目が覚めて、まずいちばんに飛び込んできたのは鮮やかなオレンジ色に染まるビーチ。のそりと体を起こして、非日常な光景に呆然とする。ああ、そっか、日本じゃないんだ、ここは。高級なマットレスに沈み込んで伊吹の唇を堪能しているうちに、睡魔に負けて寝てしまっていたみたいだった。まだ覚醒し切らない思考のまま、伊吹の姿をさがす。すると、背後からシャワーの音が耳に入り、伊吹の所在を確かめる。ガラス張りになっているバスルームは、湯気で曇っていて中が良く見えなくなっていた。ぼんやりと長身のシルエットが浮かび上がるだけで、それはそれで唆られるものがあった。起きたよと伝えるためにはバスルームを開けなければいけない。このまま声を出しても、水音で届かないんじゃ意味がないからな。仕方ないから扉を開けて声をかけよう。そう思ってマットレスに足をついたところで、キュッとシャワーの蛇口が閉められる音がした。中の影はバスタオルで体を拭って、バスローブを身につけているようだ。……残念、と思いながら出てくるであろう伊吹を待った。

「お、志摩起きた、おはよ」

「うん……おはよ……」

「ありゃ、元気ねーじゃん、まだおねむ?」

「いや、だいぶスッキリした」

「あは、さっき俺の唇じゅって吸ったまま寝ちゃうからさ、赤ちゃんみたいだった」

「赤ちゃん……」

「志摩もシャワー浴びてきたら〜? 腹減った! 飯いこーぜ!」

 ホテルに併設されているレストランもあるが、1日目は現地の雰囲気を味わうために敢えて夕食の予約は取らず、メイン通りに並ぶという屋台に行ってみようと計画を立てていた。大変上機嫌に自分の洋服のバッグを漁る伊吹から、風呂上がりのサボンの香りが漂う。エロ風呂場でシャワー浴びる伊吹……見たかったなぁ、まあ、また後でもいいか、などと思いながら見つめた。

「コラ、顔に全部書いてあんぞエロおやじ! 置いてかれたくなかったら、準備しろ!」

 ベッドサイドに畳んで置かれていたバスタオルを投げられる。受け取ってへ〜いと緩く返事をしてシャワーを浴びに向かう。クソ、なんでバレてるんだ……俺はただ非日常を存分に味わいたいと思っただけだし。洗練されたバスルームは映画の一幕にでてきそうで、自分が素っ裸で立っているとなんだか滑稽に思えた。少し人相が悪いが伊吹ほどの男前が立っていれば絵になるのだが。うん、やっぱり伊吹のシャワーは後で見よう。旅の思い出にするべきだ。なんてくだらないことを真剣に考えながらバスルームを出ると、伊吹が鏡台前の椅子に脚を組みながら座り、口元に手を寄せてこちらを見ていた。

「うお、なんだよ」

「あのさァ……志摩の可愛さを最大限に引き出してーんだ、俺」

 スパァン!と小気味よく膝を叩く。

「はぁ……?」

「志摩ってイケメンだし、まァエロおやじなとこもあるけど……かといって赤ちゃんになったりするワケ、イケメンの志摩はたくさん知ってるのよ、世界も俺も、だけど今回は志摩ちゃんズきゅるにスポットライトを? 俺プロデュースで? 当ててあげたい、というワケなんだよね……」

 そうしてまた膝を打つ。ひとりで喋ってひとりで頷いて、意味がよくわからないことを言っている。無駄に楽しそうで腹立つ。理由の説明をしてるのに、最初から最後までよくわかんないことなんてあるんだ……つか人のこと勝手にハムちゃんずみたいにすんな。あの海外カップルに買ってもらったふざけ散らしたサングラス越しでは伊吹の目は見えなくて、ふざけてんのか本当に頭がおかしくなってしまっているのかわからなかった。伊吹の奇行か、また始まった……と脱力する。

「とゆことでェ……今夜はこれ着て?」

 じゃん!と伊吹の口からの効果音と共に、ハンガーにかけられた洋服が出てきた。パステルカラーで淡い水色の少し毛足が長いニットファーカーディガンだった。ふわふわと軽い素材のシルエットは何というか、普段の俺のイメージと随分かけ離れているように思える。

「これを着るのか?! 俺が?」

「うん! お願い! 絶対似合うからっ こーゆーの着てる志摩ちゃん見たい!」

 俺より背が高いくせに、上目遣いを上手に使ってオネダリのポーズをしてくる。こんな芸、俺は仕込んだ記憶ないぞ……いや、俺がこの顔に弱いのを勝手に学習したんだな。普段なら絶対にパステルカラーかつ、こんな甘い雰囲気の服装は着ない。伊吹は似合うと言うけど、正直に言って自分では似合う気はしない。だけど、せっかくこんな遠くまで来ていて、俺のために洋服を用意したいじらしさに免じて、よしを出してやることにした。

「……今回だけだぞ、で? これに何合わせたらいいんだ」

「シマチャン……♡ よっしゃぁ! ありがとう大好きっ! パンツこれ! 靴はこれ履いてね!」

 よしを出した途端に走り出した。ふわもこの水色のカーディガンと、コーデュロイ生地でキャメル色の緩いラインのパンツに、タッセルが付いた黒い艶のあるローファーと次々と出てくる。

「それと、志摩ちゃんのデコルテ、俺大好きだからぁ……中はこれ♡」

 ちょっと恥ずかしげに渡されるそれは、白いVネックの半袖。本当に全部コーディネートされている。洋服の荷造りにやたら時間がかかっていると思っていたが、これらを詰め込んでいたのか……やたら「キャリーはでっかい方がいい! なるべく!」と念押ししていたのはこのためだったのかもしれない。横から伊吹がにゅっと差し出してきたゴツめのシルバーリングを左手に、右耳をごく優しい力で摘まれたと思うと、黒の光沢のあるシンプルなイヤーカフが付けられていた。ほう、服装はカラフルだがアクセサリーはシックで艶がある感じなのか、なるほど。

「髪は自分でセットしていいか?」

「オッケー、志摩ちゃんにおまかせしちゃう!」

 後残すはヘアセットという段階で、鏡台の前に座る俺の背後で忙しなく左右に揺れて鏡を覗いてくる。自分のコーディネートを受けて、俺がどんなセットをするのか楽しみに待ってくれているようだ。甘い印象の洋服たちとバランスを取るために、ジェルで艶と束感を出して少しセクシーな印象に。いつもはあまり出さない額を出して、前髪を少し垂らして動きを出した。最後に立ち上がって、服とのバランスを確認する。甘い印象の伊吹セレクトの洋服と、バランスを取るためのいつもはしないイロをつけたセットとの相性は、我ながらまあまあいいんじゃないか?と思った。しかし何より、伊吹が気に入ってくれたら、いいんだけど。

「……どう?」

 ひと通りセットができて、まだ何も言ってこない伊吹の反応が気になって後ろを向いた。

「やばぁ……キュートとセクシーが、同棲はじめちゃってるぅ……♡」

 ……好評らしいので良しとした。伊吹が喜んでくれているようなので、たまにはこういう服を着てみるのも悪くないのかも、と内心舞い上がりながらもやはり少し恥ずかしくて鏡に向き直して前髪をいじった。

「志摩ちゃんは、セクシーだしキュートだから、どっちか選ばなくていいもんな♡ ひと粒で無限に美味しい!」

「あ〜なんだっけ、それ……」

「志摩が俺のアクセサリー付けてんの、いいわぁ〜」

 背後で顎に手を当てて深く頷いている。さっきから忙しいな、おい。俺との会話を放棄するな。

「ふふ、じゃあ、最後に」

「今度はなんだぁ? 腹減ってんだろ?」

「じゃーん」

 伊吹が後ろから腕を回して抱き着いて密着する。その手には細長い箱が握られていた。ブルーの上質そうな箱でホワイトのリボンがかけられている。

「お誕生日、おめでとうございました」

「……ありがとうございます」

「これが一応本命のプレゼントだったんだけど、今日つけて欲しかったから」

「……わざわざ、お気遣いすみません」

「志摩照れててウケる」

「うるせーな、中、見たいんだけど」

「俺付けてもいい」

「うん」

 リボンを解きそっと首に巻かれたネックレスは、細身でシンプルなシルバーだった。鎖骨の凹凸を辿るようにネックレスが波打って、艶やかに光っている。

「この短さが、良かったんだよね〜志摩がいちばん綺麗に見えるかなって、選んだんだよ」

 低い伊吹の地声で囁かれて、体の芯が震えてじわりと熱が灯る気がする。伊吹の右手が鎖骨を伝って、シャツの襟首から指先が入り込んできた。

「……っ」

「ん、似合ってる」

「いぶ、」

「よぉ〜し、準備完了! 飯にしようぜ!」

 さっきまでの艶っぽい雰囲気を吹き飛ばすように、パッと伊吹が離れていく。伸ばしかけた俺の手が虚しく宙に浮いた。……もしかして、さっきキスの途中で寝たの、根に持ってる?いろいろな意味でドキドキしながら、伊吹と共にホテルを後にした。


 既に陽が沈んでほの暗い夜道だが、立ち並ぶ屋台やマーケットの明かりが輝き食事を楽しむ人々の声で不思議と心細さは感じなかった。一方、伊吹の装いは、最近伸びてきた後ろ髪をハーフアップにして毛先はくるんと、所謂お団子になっている。前髪は緩く後ろに流されていてまあるい額が見え、襟足に伸びる後れ髪が艶っぽい。オーバーサイズの黒いロンTは萌え袖で、袖から少し出る指先がなんとも俺を誘った。ケミカルウォッシュされた黒いスキニージーンズは、伊吹の真っ直ぐ伸びる脚を引き立たせ、黒いサンダルから見える素肌とくるぶしが軽やかだ。胸元には伊吹お気に入りのサングラスがかけられている。黒で引き締められた立ち姿の伊吹が、彩り鮮やかに輝く店々を背負っている。

 これが、勝俣が言っていた「エモい」か……と、こっそりカメラを構えた。

「ね〜え〜てばね〜え〜♪ ふんふふーんふんふーん……迷うなっせっくしーなの? きゅう〜と〜なの〜♪」

 どっちがタイプよ〜!と歌いながらわちゃわちゃ、伊吹がはしゃぐ。ああ、思い出した、あややだ。持ち前のスタイルの良さを活かしたファッションが霞むし、ふらふらされるとハラハラするからもう少し落ち着いてほしい。

 屋台を物色しながら、ここでいちばんポピュラーというビールを小瓶のまま、乾杯!とふたりして流し込んだ。よく冷やされ軽やかなビールが喉を伝っていく。

「っああ゛〜うっま……」

「染みる、最高、ここまで我慢した甲斐があった……」

「志摩! お前もう飲みきってんの! 早!」

「あ? お前が遅ェんだよ、早く空けろ」

「おお、いいねェ〜おじちゃーん! もう2本ぷりーず!」

 隣の屋台で買った豚肉っぽい串焼きを頬張る。焼き色からもっとスパイシーな味付けなのかと思ったが、醤油ベースで日本人の舌に馴染みある濃い味だった。

「ん! やばい味濃すぎて喉乾く、ビール足んない、うまい!」

「米も欲しい」

「わんぱくか! いやでもわかる、米でもいい、おじちゃーん! おにぎりないー?!」

 なんとその後本当におにぎりが出てきてふたりして笑った。片手におにぎり、もう一方にビールを握りしめて様々な料理に舌鼓を打った。